イエスは言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネの福音書6章29節)

1.ヨハネの福音書91節―38
2.コリント人への手紙 第一 153節―10
3.ペテロの手紙 第一 1章18節―21節

イエス様を見つけた群衆が「先生。いつここにおいでになりましたか。」と尋ねると、イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」と仰せられると、「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょう。」と尋ねたので、イエス様は「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と、答えられました。人はとかく「行い」を第一に考えて、「何をすべきか」ということに心を向けてしまいがちになりますが、イエス様は「何をするべきか」ではなく、「信じること」と答えられました。生まれつき盲目の人について弟子たちは「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と尋ねると、イエス様は「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現されるためです。わたしたちは、わたしたちを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことができない夜がきます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」と仰せられてから地面につばをきをして、そのつばきで泥を作られ、その泥を盲人の目に塗ってから「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」と仰せられたので、彼は行って、洗うと見えるようになったように、癒されたのですが、イエス様から「あなたは人の子を信じますか。」と尋ねられると、癒された彼は「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」と言ったので、イエス様が「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」と仰せられると、彼は「主よ。私は信じます。」と言われたのでした(ヨハネの福音書9章1節―7節及び35節―38節)。十人癒されてもイエス様に感謝し神をあがめるために戻って来たのはひとりだけでしたが、その人にイエス様は「立ち上がって生きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」と仰せられました(ルカの福音書17章11節―19節)。神が遣わされた御子イエス様を信じているキリスト者は神のわざの中で生かされているのです。イエス様に感謝し、神をあがめに戻って来た人のように主を信じ、救われていることを感謝して生きようではありませんか。