どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。(エペソ人への手紙3章16節)

1.使徒の働き14節―8
2.ローマ人への手紙719節―83
3.コリント人への手紙 第二 4章15節―18節

イエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。(マタイの福音書5章43節―48節)」と仰せられましたが、敵を愛する、迫害する者のために祈る、ということは人知では考えられない世界ではないでしょうか。しかし、聖霊に満たされ、恵みと力に満たされ、イスラエルの歴史を語るとともに大胆に福音を語ったテパノを人々は町の外に追い出して石で打ち殺したのですが、ステパノはひざまずいて大声で「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と言ってとりなされたのでしたが、その秘訣は今日の聖句が「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」と語っているように、御霊によって内なる人が強くされたからではないでしょうか。迫害する者のために「主を知ることができますように」と、とりなして祈ることはできても、自分の力で敵を愛そうとしても敵を愛するという境地にはなかなか達することができないばかりか、時にはキリスト者を同士、愛することができないようなことがありますが、ヨハネの手紙 第一 3章18節―20節は「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属する者であることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」と、自分の愛の足らなさを責めるよりも、かえってそのために十字架があることを思い起こし、死からよみがえられたキリスト・イエスが、神の右の座に着き、とりなして祈っていてくださることを感謝するとともに(ローマ人への手紙8章33節ー34節)、今日のパウロの祈りのように、神の律法を喜んでいる私たちの内なる人(ローマ人への手紙7章22節)を主が御霊の力をもって強めてくださるように祈ろうではありませんか。