どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ人への手紙1章17節)

1.ダニエル書21—47
2.マタイの福音書1613—17
3.ヨハネの福音書14章22節—26節

世には知恵者がたくさんおられますが、不思議なことに知識人でであっても、多くの奇蹟を体験した神の民であるイスラエルの民も、天地万物を創造された神よりも自分たちの考えで偉人や功績をあげた人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た像を造り、神ならぬ神々を拝んだり、祖先崇拝をしています。パウロはキリスト者になる前は律法による自分の義に生きキリスト者を迫害していましたが、その時は聖霊を持たず、本当の意味で神を知っていませんでした。しかし、キリスト者となり、聖霊に満たされたパウロは、主から与えられた使命について「『彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです(使徒の働き26章18節—20節)」と、神を知る者、神の啓示を受ける者となったのでした。パウロは「私たちの語るのは、隠された神の奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の王を十字架につけなかったでしょう。まさしく聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばされるからです。(コリント人への手紙 第一2章7節—10節)」と、御霊の働きについて語っています。日々神の知恵であるみことばに生きられないように、神のみこころを教えてくださる(啓示を与えてくださる)御霊を消したり、御霊を悲しませるような肉の思いや欲望に支配されないように、今日の聖句であるパウロの「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」という祈りに心を合わせ、御霊によって歩むことができるように(ガラテヤ人への手紙5章16節)、お互いのために祈ろうではありませんか。