私の叫びが御前に近づきますように。主よ。みことばのとおりに、私に悟りを与えてください。(詩篇119篇169節)
1.詩篇119篇97節―99節
2.詩篇119篇129節―130節
3.エレミヤ書33章1節―3節
4.コリント人への手紙 第一2章3節―10節
「悟り」は自分の努力によって開かれるものと人は思いがちなので、座禅を組んで精神統一をはかったり、滝に打たれるなど、さまざまな修行によって悟りの境地に達しようとしますが、主がエレミヤに「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなることをあなたに告げよう。」と仰せられたように、悟りは主によって与えられることを、しかも人智を超越した領域にまで及ぶことを語っています。ですから、イエス様が弟子たちに「このことばを、しっかり耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」と仰せられても「弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである(口語訳:彼らはなんのことがわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。)また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた。」と弟子たちには悟ることができおなかったことを語っています(ルカの福音書9章44節―45節)。イエス様は「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14章26節)」と、仰せられました。ヤコブの手紙1章5節は「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることもなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」と語っています。今日の聖句「私の叫びが御前に近づきますように。主よ。みことばのとおりに、私に悟りを与えてください。」を、口語訳は「主よ、どうか、わが叫びをみ前にいたらせ、み言葉に従って、わたしに知恵をお与えください。」と訳しています。理解できないような出来事や試練に会ったとき、主に「悟りを与えてください。」「知恵をお与えください。」と祈ろうではありませんか。主は真実な方ですから、信仰の完成者である主を仰ぎ見るなら、みことばをもって約束してくださったように聖霊様が私たちの心に語りかけ、教え導いてくださるのではないでしょうか。