聖書箇所

イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)

<関連聖句>

1.ヨハネの福音書11節―5
2.ヨハネの福音書179節―20
3.エペソ人への手紙58節―17

<メッセージ>

パウロはダマスコの途上で天からの光に巡り照らされ地に倒れたパウロ(サウロとも呼ばれていた)に主が「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」と、声をかけると、パウロは「主よ。あなたはどなたですか。」と尋ねたので、主は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と答えました。主は視力を失ったパウロの視力を回復し、聖霊に満たされるためにアナニヤを遣わされたのでした。パウロは主から与えられた使命を「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らの罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。(使徒の働き26章17節―18節)」と、アグリッパ王の前で証されたように、イエス様との関係がないとサタンの支配下、すなわち暗闇の中にいることになるのです。ところで、イエス様は、「わたしは今みもとにまいります。」と言われてから弟子たちやキリスト者について「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」と、キリスト者はやみであるこの世に属するものではないこと、イエス様がこの世の光として遣わされたように、キリスト者もイエス様によって「世界の光(マタイの福音書5章14節)」としてこの世に遣わされているために(ヨハネの福音書17章18節)、やみの中を歩む、すなわち世と調子を合わせないように、イエス様は「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と、世の光であるイエス様に従うようにを語っていますが、それはちょうど月が自分で光を放っているのではなく、太陽の光を反映してやみの中に光り輝いているように、私たち自身に光があるのではなく、主が私の光であるからではないでしょうか(ミカ書7章8節)。月の表面はでこぼこで、冷たく、自分で光を放ちませんが、夜、光り輝いているのは太陽ではなく、太陽の光を反映している月なのです。自分を見たら月のようにでこぼこで、パウロが「私は、ほんとうにみじめな人間です。(ローマ人への手紙7章24節)」と告白したように、みじめさだけが見えますが、パウロは「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピの手紙2章14節―16節)」と、世の光として輝く秘訣を教えてくださっています。主が喜ばれるように、世界の光として生きるために人を欺く情欲(エペソ人への手紙4章22節)に惑わされずに、いのちのことばであるみことばの真理によって物事を判断して生きようではありませんか。