私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうyが、しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(コリント人への手紙第一1章23節ー24節)

1.マタイの福音書28章18節ー20節
2.コリント人への手紙第一2章1節ー5節
3.エペソ人への手紙6章10節ー20節
4.ピリピ人への手紙4章12節ー13節

祭司長たちと指導者たちがねたみからイエス様を引き渡したことに気づいていたピラトは(マタイの福音書27章18節)「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは何一つしていません。だから私は、懲らしめたうえで釈放します。」と祭司長たちと指導者たちに話されても彼らは「この人を除け。バラバを釈放しろ。」と叫んだのですが、ピラトはイエス様を釈放しようと思ってもう一度呼びかけたのですが、彼らは「十字架だ。十字架につけろ」と叫び続けたので(ルカの福音書23章13節ー24s節)、イエス様は十字架につけられ殺されましたが、三日目に死からよみがえられ神の力がどれほどのものであるのかを示されただけでなく、それはパウロが「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子をお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人への手紙8章3節)」と語っているように、それは神の知恵の現れであったのでした。キリスト者となり神のみこころを知る者となられたパウロはこの世や人の知恵の愚かさを語ってから、「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」と、語っています。この世や人の知恵に惑わされないように神の力、神の知恵である主と神の知恵、神のことばであるいのちのみことばをしっかり握って生きるように心がけようではありませんか。