人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。(箴言5章21節)

1.出エジプト記13章17節ー22節
2.詩篇139篇1節ー16節
3.ルカの福音書22章31節ー32節
4.ヘブル人への手紙4章13節ー16節

パウロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ人への手紙1章3節ー5節)」において、キリスト者は神の子とされていることを、しかもそれは世界の基の置かれる前からもっておられた神のご計画であることを語っています。神である主はご自分の民であるイスラエルの民をよくご存知で「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。(出エジプト記13章17節)」と仰せられて近道には導かれなかっただけでなく、荒野を旅する間、主は民が宿営する場所を探すために夜は火のうちに、昼は雲のうちにあって民が進んでいく道を示されたのでした(申命記1章33節)。主はペテロが三度イエス様のことを知らないと言うのをご存知で、「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と、ペテロが信仰を失ってしまうような状態に陥るけれども立ち直ることもご存知でした。死からよみがえられたイエス様にお会いし、聖霊に満たされたペテロは、今日の聖句が「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」と語っているように、「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(ペテロの手紙第一5章7節)」と勧めています。神の子とされていることを、私たちの親は主であることを忘れないようにしようではありませんか。