まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。・・彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。(イザヤ書53章4節ー5節及び12節)

1.ヨハネの福音書12章20節ー28節
2.ガラテヤ人への手紙3章6節ー14節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー31節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー8節

パウロが「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)」と語っているように、今日の聖句が「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。・・彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」とイザヤ書53章に預言されていたように、イエス様は十字架上で人々のためにとりなされたのでした(ルカの福音書23章34節)。ユダヤ人のガンツ牧師は元は精神科の医師でしたが、牧師であり哲学者であったフランシス・シェーファー師がスイスに設立された「ラブリ」に滞在中、どなたかが今日の聖句「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」を読んだ時、ガンツ博士が「新約聖書を読まないでください。」と言われたので、拝読された方が「この聖句はイザヤ書53章ですよ。」と言われたので、ショックを受けキリスト者となられただけでなく牧師になられたことを来日された時、証しされました。イエス様は「私はあなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)」と約束され、その約束を十字架の死をもって成就されたのでした。どんな教祖であろうと、哲学者であろうと、人の知恵は、死をもたらす罪や罪に対する神の怒り、死をもたらすサタンの支配から救うことはできません。今日はイエス様が苦しみを受け、人からあざけられ、ピラトはイエス様に罪を認めなかったにもかかわらず、ユダヤ人たちにねたまれて十字架にかけらた日ですが、そこには人の考えでは理解できないほどの神の大きなご計画があったのでした。イエス様の両側に犯罪人が十字架にかけられていましたが、イエス様は十字架にかけられる前、すでに鞭打たれ、悲惨な状態だっただけでなく、十字架にかけられた犯罪人からも悪口を言われたのでした。私たちを救うために愛しておられた御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになった父の愛、恵みとまことを実現してくださったイエス様を誉めたたえ、心から感謝を捧げようではありませんか。