私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.使徒の働き3章1節ー16節
2.テモテへの手紙第二1章3節ー7節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー3節
4.ペテロの手紙第一4章7節ー11節

パリサイ人として生き、恵みを知らなかった時のパウロは自分の考えでキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、救いは行いによるものではなく恵みによる者であるのを知ったことによって「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。」と語ってから「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」と、自分と他者を比較して高慢にならないように、信仰は神によって各自に与えられるものであることを、慎み深い考え方をするように勧めていますが、そのような生き方をするためには、パウロが「神が私たちに与えてくださった者は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)」と、「私は言います。御霊によって歩みなさい。」と勧めているように御霊によって歩む、すなわち御霊によって書かれているみことばに生きる必要があるのではないでしょうか。興味深いことに「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と豪語しましたペテロは、イエス様が預言されたように三度イエス様を知らない、と言って挫折しましたが、聖霊に満たされた彼は生まれつき足のなえていた人が癒されたのはイエスの御名を信じる信仰によるものであり、しかもその信仰はイエスによって与えられるものであることを証しされ、「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4章7節)」と勧告する人に変えられたのでした。他者と自分を比較するようなことをせず、ペテロの信仰がなくならないように祈られたように(ルカの福音書22章32節)、私たちのためにもイエス様が祈っていてくださることを、罪に定められないようにとりなしていてくださることを感謝し、十字架の恵みを忘れないようにしようではありませんか。