私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ人への手紙2章20節)
1.ローマ人への手紙6章6節ー11節
2.エペソ人への手紙2章1節ー10節
3.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
4.ヘブル人への手紙11章1節ー6節
イエス様が弟子たちに「では、あなた方は、わたしをだれだと言いますか。」と尋ねたので、ペテロが「神のキリストです。」と答えると、このことをだれにも話さないように戒められてから「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしに着いて来なさい。(ルカの福音書9章30節ー23節)」と、キリスト者は日々十字架を負って生きるように仰せられました。ところで、イエス様が負われた十字架は罪の贖いのためでしたが、キリスト者が負うべき十字架はパウロが「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」と、「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。(コリント人への手紙第一15章31節)」と告白しています。キリスト者が負うべき十字架は、生まれながらの古い自分に生きるのではなく、十字架で示された神の愛と恵みを忘れず、イエス様によって与えられた信仰に生き続けることることを告白しています。悪魔はキリスト者に触れることはできませんが、火の矢を射ってきます。パウロはそれに勝利できる秘訣は信仰の大楯を取ることであることを語っています(ヨハネの手紙 第一5章18節、エペソ人への手紙6章16節)。サタンは私たちの弱点をついて来ますので、私たちは恐れたり、苦悩したりしますが、その時こそ、古い自分に生きているか、キリストに生きているか、主を信じているかどうかが試されるのではないでしょうか。パウロが「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(コロサイ人への手紙2節ー3節)」と、勧めているように、復活をもって死に勝利され父なる神の右に座しておられ、祈っていてくださるイエス様に心のうちを正直に申し上げて恐れをもたらす問題や私たち自身を主の手に委ね、キリストにある。
