私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそのむきの罪を私たちから遠く離される。(詩篇103篇10節ー12節)
1.哀歌3章22節ー26節
2.ヨハネの福音書3章16節ー21節
3.ローマ人への手紙8章28節ー39節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
イエス様が悪魔について「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちに真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら、彼は偽り者であり、また偽りの父です。」と語っているのは、ヘビに化身した悪魔が「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と仰せられた神のことば(創世記2章17節)を、「あなたがたは決して死にません。」と完全に否定し「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と食べてはならない理由が別にあることを告げたのですが(創世記3章4節ー5節)、エバとアダムが善悪の知識の木から取って食べたことによって、神が仰せられたように人類に死が臨むことになったのでした。一般的に「うそは方便」という言葉が象徴するように、うそが罪であるという意識がなく、かつてテレビでコメンタリーの人が「うそにも良いものがありますよね。」と発言されたことがありましたが、近年オレオレ詐欺や投資話をもって、多くの人が騙されている現状が報道されているように、「うそは罪」であることがわかります。サウルからいのちを狙われたダビデは神の守りを忘れ、嘘をついて人を騙すようなことをしましたが、その結果窮地に陥ったり、預言者によって罪が暴かれたり、良心の呵責に悩まされる度、神に立ち返ると、主は彼の罪を赦され勝利を与えられたのでした。その経験から彼は「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそのむきの罪を私たちから遠く離される。」と、主の恵みがいかに素晴らしいものであるのかを語っています。私たちが弱い者であることをご存知で、信仰がなくならないように、罪に定められないように祈っていてくださる主がおられることを忘れず、恵みに生きるようにしようではありませんか。
