私の福音にいうとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを。いつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二2章8節)
1.コリント人への手紙第一15章3節ー21節
2.コリント人への手紙第二4章15節ー18節
3.ヘブル人への手紙4章13節ー16節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー3節
パウロはテモテに「私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。」と、慰めただけでなく、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。(テモテへの手紙第二1章4節及び7節ー8節)」と、勇気づけるとともに「私の福音にいうとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを。いつも思っていなさい。」と、ヘブル人への手紙12章2節ー3節も「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と、パウロもコリントのキリスト者たちに「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人が衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、量り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。(コリント人への手紙第二4章15節ー17節)」と、勧めているように、年を重ねるごとに体力が失われますが、やがて永遠の栄光の中に招き入れられていることを、イエス様にお会いできるという将来を見据えて人生を歩むようにしようではありませんか。
