人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉をつかむ。(箴言29章23節)
1.イザヤ書14章12節ー15節
2.マルコの福音書7章20節ー23節
3. ガラテヤ人への手紙6章3節ー4節
4. ヤコブの手紙4章4節ー10節
一昨日公明党が自民党を離脱するニュースを拝見しながら、「総理になっても靖国参拝を続けます」と発言されたり、総裁選の時には、自分こそ、と高ぶっておられた高市氏の様子を拝見しながら、「人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉をつかむ。」を思い起こしました。パリサイ人として生活していた時のサウロとも呼ばれていたパウロは聖霊を持たず律法による自分の義に生き、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。(使徒の働き26章9節及び14節)」と声をかけられ、キリスト者となったパウロは自分のみじめさを知るとともに神のあわれみ、神の恵み、神の愛を深く知る者となられ、主ご自身が「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー(エレミヤ書9章23節ー24節)」と仰せられたように、「誇る者は、主を誇りなさい(コリント人への手紙第二10章17節)」と勧めるとともに、「だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。(ガラテヤ人への手紙6章3節-4節)」とキリスト者が留意すべき点を指摘されました。権勢や能力、行いによってではなく、ただ主のあわれみと恵みによって救われていることを、主がどのような方なのかを忘れないようにしようではありませんか。
