わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)
1.コリント人への手紙第一6章12節ー20節
2.コリント人への手紙第二3章6節ー18節
3.コリント人への手紙第二5章7節ー18節
4.ペテロの手紙第一5章8節ー11節
多くの方は、この世の栄光を求めて努力し、他者との競争に打ち勝つことによって得ますが、その動機と栄光についてパウロは「兄弟たち。私を見ならう者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを見本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私は、しばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上だけです。(ピリピ人への手紙3章17節ー19節)」と語っていますが、ペテロが「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(ペテロの手紙第一5章10節)」と、すべてのキリスト者には努力によって勝ち取っていくような、輝き失っていくような栄光ではなく、十字架の恵みによって罪が赦されているだけでなく主の栄光を現してくださる御霊が与えられているので栄光から栄光へと栄光が増しくわされる永遠の栄光が神から与えられていることを語っていますが、そのことは確実なものであることを、主が「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と保証しています。人は必ずこの世を去るときが来ますが、その時こそ私たちは永遠の栄光の中で永遠に生きることを忘れないようにしようではありませんか。死後。自分はどうなうのか、と不安に思う必要がないことはなんと幸いなことではないでしょうか。
