聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。(ガラテヤ人への手紙3章8節ー9節)
1.創世記12章1節ー3節
2.創世記17章1節ー7節
3. エペソ人への手紙1章1節ー6節
4.ペテロの手紙第一3章8節ー9節
日本では、何か不幸なことがあると、呪わているのではないか、と考える方がいますし、何かを始める時やさまざまな場面で神主さんがお祓いをします。ところで、神は人をご自分のかたちに創造し「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と祝福されたのですが、エバは悪魔のいつわりのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べてアダムに渡したのでアダムも神の警告よりもエバの声に従って食べて罪を犯したのですが、神はエバを誘惑した悪魔に「あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。(創世記3章14節)」と仰せられましたが、神は人をのろわずにかえって皮の衣をつくって着せてくださったのでした。その後、律法が与えられ、何が神にとって善であり悪であるかを、何が神に喜ばれるもので、何を神が忌み嫌われるのかを知らされたのですが、パウロがいつも善をしたいのにそれが実行できなくて葛藤したように完全な人はいないので、ガラテヤ人への手紙3章10節は「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」と語っていますが、イエス様は律法ののろいから贖ってくださったのでした。今日の聖句が語っているようにキリスト者はアブラハムに与えられた祝福と同じ祝福を受ける者であることを、のろいから贖われていることを心に据えて主を喜んで生きるようにしようではありませんか。