善人は主から恵みをいただき、悪をたくらむ者は罰を受ける。人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。(箴言12章2節ー3節)
1.使徒の働き10章1節ー48節
2.ローマ人への手紙12章9節ー21節
3.コロサイ人への手紙2章1節ー9節
4.ヘブル人への手紙13章5節ー16節
ソロモンは「悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。悪人が百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからである。(伝道者の書8章11節ー13節)」と語っていますが、ペテロは「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでいるのです。」と、悪い行いに対する宣告がすぐに下されない理由を語っていますが、今日の聖句が「善人は主から恵みをいただき、悪をたくらむ者は罰を受ける。人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。」と語っているように、主の再臨や主が裁かれる時が来ることをも語っています(ペテロの手紙第二3章3節ー10節)。ところで、聖書はすべての人は罪を犯していることを語っています。ですから、「善人」も「正しい人」も、コルネリオのように異邦人であっても主を恐れかしこみユダヤ人の人々に多くの施しをし、いつも神に祈りをしたような敬虔な人であり、パウロが「キリストの中に根ざし(コロサイ人への手紙2章7節)」と語っているようにキリストを信じ、贖われた者ではないでしょうか。恵みよって救われているだけでなく日々恵みに恵みがまし加えられていることを(ヨハネの福音書1章16節)感謝して生きようではありませんか。