自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある人。(箴言17章27節)

1.箴言11章12節ー13節
2.哀歌3章22節ー41節
3.コリント人への手紙第一8章1節ー3節
4.ペテロの手紙第二1章1節ー11節 

ヨハネは「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。」と語ってから「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と語るとともに「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と、イエス様に関することを語っています((ヨハネの福音書1章1節、14節、18節)。ところで、イエス様は「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」と驚かれたユダヤ人たちに「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし、自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。(ヨハネの福音書7章15節ー18節)」と仰られました。ソロモンは「神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ(伝道者の書5章2節)」と、箴言10章19節は「ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。」と語っています。今日の聖句が「自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある人。」と語っているように、知識に富む者として生きるために主がどのような方であるのかを、心の冷静な人として生きるために、神の知恵であるみことばを心に据えて生きるようにしようではありませんか。