イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。(ヘブル人への手紙13章8節)
1.詩篇23篇1節ー6節
2.詩篇103篇6節ー18節
3.ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.ローマ人への手紙8章33節ー39節
ゴリアテを倒し、ペリシテ人との戦いから民が凱旋してきた時、イスラエルのすべての町々から出てきた女性たちが、タンバリン、喜びの歌を、三弦の琴をもって、歌い、喜びながらサウルを迎えたのですが、彼女たちは笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」とくり返し歌ったために、「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」と、サウルは非常に怒り、不満に思い、その日以来、ダビデを疑いの目で見るようになり、ダビデを殺そうとしたので、ダビデは主を信頼するよりも自分の考えで敵であるペリシテ人の地に逃げ込んだのですが、その途上で「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか。」と問うた祭司アヒメレクを偽りをもってだましただけでなく(サムエル記第一21章1節ー2節)、アキシ王の信用を得るために騙すようなことをしていましたが(サムエル記第一27章8節ー12節)、主に立ち返るといつも赦しや勝利を与えられたのでした。ですから彼は「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。(詩篇23篇6節)」と、パウロがどんなことがあっても、どんな被造物もキリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すものはない、と確信できたのは(ローマ人への手紙8章33節ー39節)、今日の聖句が「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」と語っているように、恵みとまことに満ちておられるイエス様は私たちを見捨てることも、態度を変えることもなく、かえって私たちの弱さをご存知で、ペテロのために祈られたように信仰がなくならないように、罪に定められないようにとりなして祈っていてくださるのです(ローマ人への手紙8章33節ー34節)。どんな時にも主を信頼して生きようではありませんか。