教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ人への手紙1章23節)

1.マタイの福音書16章15節ー18節
2.ローマ人への手紙12章2節ー8節
3.コリント人への手紙第一12章4節ー27節
4.エペソ人への手紙4章1節ー16節

教会は「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」とパウロが語っているように、構成しているのはもちろん人ですが、一般社会における会社でもなく、何かのサークルではなく、神である主ご自身との関係の中で成り立っていること、しかもを語っています。「教会」はギリシャ語では「エクレシア」であり、その意味には、「召し出された者たち」とか「呼び出された者たち」という意味があります。イギリスでの話ですが、ある方が「あなたの教会を見に行きたいのですが」と電話されると、その教会の牧師が「では日曜日にいらしてください。」と言われたので、「日曜日でないといけないのでしょうか」と尋ねると、牧師は「教会堂はいつもありますが、教会は建物ではなくキリスト者の集合体ですから。日曜日でないと教会はありませんので。」と話されたのでした。イエス様は「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイの福音書18章19節)」と仰られたように、すべてのキリスト者はキリストのからだなる教会を構成する者であり、そこには神の御臨在が満ちるところであることを、自分はキリストのからだのどの部分に属するのかわからなくても、キリストのからだの一部であることを心に留めて他のキリスト者と自分を比べるようなことをしないようにしようではありませんか。