善人は主から恵みをいただき、悪をたくらむ者は罰を受ける。(箴言12章2節)

1.伝道者の書8章6節ー13節
2. 伝道者の書12章13節ー14節
3.ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.使徒の働き17章21節ー31節

パウロは詩篇を引用して「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。(ローマ人への手紙3章10節ー12節)」と語ってから、イエス・キリストを信じる信仰によって与えられる神の義は何の差別もなく信じるすべての人に与えられることを語りましたが、その理由を「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。」と語っています(ローマ人への手紙3章22節ー24節)。ところで、イエス様を信じて恵みによって義とされていても、パウロが善をしたいという願いがいつもあるのにそれを実行できず、かえってしたくない悪をおこなってしまう自分に失望しているように、私たちも同じ思いに駆られることがあるのではないでしょうか。今日の聖句は「善人は主から恵みをいただき、悪をたくらむ者は罰を受ける。」と語っていますが、感謝なことにイエス様を信じる者の全生涯の罪は十字架で処理されており、神から罰を受ける立場にあるのではなく、私たちの大祭司イエス様は罪に定められないように私たちのためにとりなしていてくださっていますし、ヘブル人への手紙4章16節は「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と勧めています。ヨハネの福音書1章16節が「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」と語っているように、常に恵みに生きるようにしようではありませんか。