主の救いを黙って待つのは良い。(哀歌3章26節)

1.伝道者の書3章1節ー11節
2.伝道者の書5章1節ー2節
3.イザヤ書40章27節ー31節
4.イザヤ書46章3節ー13節 

待ち合わせた時に相手の人を待つように人を待つことがありますし、受験生が受験の結果を待つように、キリスト者も祈りの結果を待つように成果を待つことがありますし、流行っている料理店で食事がしたくて席が空くのを待つように、人はさまざまなことを待ちながら生活しているのではないでしょうか。今日の聖句は「主の救いを黙って待つのは良い。」と、ふさわしい、良い待ち方を教えています。前方には紅海、後方からエジプト軍が追ってくるのを見た民は恐れて主の偉大さを忘れモーセに文句を言ったのですが、モーセは民に「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」と命じられましたし(出エジプト記14章13節)、ヨシュアも人智では愚かに思えるような主から与えられた戦略が成功するために「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」と命じられたのでした(ヨシュア記6章1節ー10節)。人は恐れや欲、肉の思いに支配されるとイスラエルの民のように神の偉大さを忘れ、神と神の約束に対し不信の罪を犯してしまう危険性があります。そのような状態に陥らせる自分の思いや考え、感情から守られるために、主の前に黙して、主がどのような方であるのかを、すべてのことを美してくださる主の時があることを熟考し、主の救いを待ち望もうではありませんか。