人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。(詩篇49篇20節)

1.詩篇73篇21節―28節
2.エレミヤ書9章23節―24節
3.ダニエル記4章19節―34節
4.ピリピ人への手紙3章2節―15節

創世記2章7節は「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」と語っていますが、他の被造物にはいのちの息は吹き込まれていないように(創世記2章19節)、人と他の被造物との違いははっきりしています。偶像崇拝を拒んだために火の燃える炉の中に投げ込まれたユダヤ人たちの頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかったので、ブカネデザル王は「いと高き神が私に行われたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとすることである。」と言ったにもかかわらず、今日の聖句が「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」と、どんなに権力や財力を得て栄えていても、悟りがなければ、すなわち、神を考慮しないなら、いのちの息のない、理性のない獣のようになることを語っているように、彼は「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものでやないか。」と高ぶったために、人間の中から追い出され、野の獣とともに住むようなことを経験しましたが、彼が目を上げて天を見ると理性が戻り、神である主がどのような方であるかを悟り「今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」と告白し、主をほめたたえる賛美者になったのでした。プーチン氏がネブカデネザル王のように理性が戻り、高ぶったことを悔い改めて賛美者となるように祈るとともに、獣のようにならないように、主を知る者とされていることを感謝し、主を誉めたたえて生きようではありませんか。