「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(コリント人への手紙第一15章55節―57節)
1.ローマ人への手紙8章28節―37節
2.コリント人への手紙第一15章3節―20節
3.ピリピ人への手紙2章6節―11節
4.ヨハネの手紙第一5章5節―12節
ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とに「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」と、イエス様には死罪に当たるような罪がないことを三度も話したにもかかわらず、彼らは声をそろえて「この人を除け。バラバを釈放しろ。・・・十字架だ。十字架につけろ。」と殺人者バラバの代わりにイエス様を十字架に架けるように叫び続けたので、ピラトは彼らの要求どおり宣告したために、イエス様は十字架の刑に服され殺されたのですが、三日目に死からよみがえられ、復活をもって死に勝利されたのでした。昨日、卓球の混合ダブルスで、水谷隼選手と伊藤美誠選手のドイツと中国との試合を見ながら思わず彼らのために祈ってしまいましたが、逆転勝利によってもたらされる喜びがどれほどのものであるかをも実感しながら、死からよみがえることによって逆転勝利をおさめられたイエス様のことを思わされました。アスリートの方々は何年も努力を積み重ねて試合に臨んでいますが、勝利を得る人は一握りの人たちです。しかし、今日の聖句は「『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」と、努力では成し遂げられない勝利がイエス様を信じるすべてのキリスト者に与えられていること語っています。すべてのことを、すなわち私たちの失敗をも益としてくださる主とともに逆転勝利の人生を歩ませていただいていることを喜んで生きようではありませんか。