わたしは目の見えない者に、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの道を平にする。これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない。(イザヤ書42章16節)

1.ヨシュア記31節―4
2.イザヤ書353節―9
3.マタイの福音書11章1節ー6節
4.ヨハネの福音書14章1節―11節

主はヨシュアに「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。あなたがたと箱との間には、約二千キュピトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」と、行くべき道を主が導いてくださることを語っています。イエス様は「先生。私たちは、あなたが神から来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができおきません。」と言いましたが、イエス様が御霊に関して話されてもわからなかったユダヤ人の指導者ニコデモに「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。(ヨハネの福音書3章1節―15節)」と、イエス様は天から下られただけでなく天に戻られることを話されたように、弟子たちにも「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)」と神の国、すなわち天国への道を示されたのでした。人は明日何が起きるかもわからない者ですが、将来に対する希望をもってどのような結果を招くのかを知らずにさまざまなことを決断して生活しているように、知らない道を歩んでいるために、自分が考えていたとおりの結果が出て喜ぶような時があるかと思うと、落胆したり落ち込んだりするような、すなわち、どなたもでこぼこの道を歩んでいるのではないでしょうか。しかし、今日の聖句は「わたしは目の見えない者に、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの道を平にする。これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない。」と主はどんなときにも私たちとともおられ、すべてのことを働かせて益としてくだる方であることを、将来も主のご計画の中に、主の御手の中にあることを感謝するとともに、信仰の完成者であり永遠のいのちを与えてくださったイエス様から目を離さないで生活しようではありませんか。