今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足らないものと私は考えます。(ローマ人への手紙8章18節)
1.エレミヤ書29章10節―14節
2.詩篇119篇65節―72節
3.コリント人への手紙 第二 4章13節―18節
サタンは略奪隊、すなわち神を畏れない人々や自然災害を、また重い腫物をもってヨブを苦しめるような働きをすることをヨブ記の1章と2章に見ることができますが、サタンに1章においても2章においても「ヨブの身に手を伸ばしてはならない。」「ただ彼のいのちには触れるな。」と仰せられたように、そこには神の許可された範囲内のもとでしかサタンは働けないことをも知ることができます。ヨブは子どもたちも財産も妻以外のすべてのものを失っただけでなく、自らも苦しみ、友人たちからも信仰を非難されるような状況の中で、「なぜ、私は、胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったの。」と生まれた日をのろうほど苦しみましたが(ヨブ記3章1節ー11節)、主から呼びかけられたヨブは「私はあなたのうわさを耳で聞いていいました。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ記42章5節)」と告白しています。神はサタンの働きさえも益とされる神であることを心に留め、罪を犯してバビロンに捕囚となっていたイスラエルの民にエレミヤを通して捕囚の期間が70年であることともに「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げーそれはわざわいではなくて平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを探し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。」と仰せられた主のことばを心に留めて、コロナウイルスにどう対処するかのみに関心が向いていて、神の存在が無視されているこの時こそ、人々が疫病を止めることができる主を、罪の赦しと永遠のいのちを、この世が与えることのできない平安を与えてくださる主を求めるように、キリスト者となったために迫害される立場に置かれてもその迫害に屈しないパウロが「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足らないものと私は考えます。」と語っている世界を多くの人が知ることができるように祈ろうではありませんか。