この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(マタイの福音書24章35節)

1.イザヤ書556節―11
2.ヨハネの福音書653節―69
3.テモテへの手紙 第一113節―17
4.テモテへの手紙 第二28節―14

謀反を起こしたアブサロムから逃げてパフリムまで来たダビデと家来たちに向かってとサウル家の一族のひとりシムイは石を投げつけながら「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに。主はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから。」とのろったり、石をなげたり、ちりをかけたりしていましたが(サムエル記 第二16章5節―8節、13節)、アブサロムが戦死したので、エルサレムに帰還するダビデにシムイは「わが君。どうか私の咎を罰しないでください。王さまが、エルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王さま。心に留めないでください。このしもべは、自分の犯した罪を認めましたから、ご覧のとおり、きょう、ヨセフのすべての家に先立って、王さまを迎えに下ってまいりました。(サムエル記 第二19章16節―20節)」と謝罪したのでした人はシムイのように状況によって手のひらを返すようなことを言うのではないでしょうか。ですから、ヤコブの手紙3章2節は「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っています。ことばで失敗しない完全な方は人としてこの世に御降誕されたイエスさま以外におられません。今日の聖句「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」はイエス様のことばです。イエスさまはさまざまなことを約束されましたが、今日の聖句の「わたしのことばは決して滅びることがありません。」ということばは、イエスさまのことばはいかに信頼できるものであるかを物語っているのではないでしょうか。ペテロは「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」とイエスさまに申し上げたように、私たちも恵みとまことに満ちておられるイエスさまがいつも一緒にいてくださることを喜んで生きようではありませんか。