いつまでも主に信頼せよ。やは、主は、とこしえの岩だから。(イザヤ書26章4節)

<関連聖句>

1.申命記321節―4
2.詩篇1830節―32
3.箴言3章8節ー7節
4.マタイの福音書715節―27

<メッセージ>

伝道者の書3章1節は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と語ってから、11節は「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、神の時があることを語るとともに、人には理解できない神のみわざがあることを語っています。ところで、人にとって一日は24時間ですが、ペテロの手紙 第二3章8節―9節は「愛する人たち、あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」と、神の時は私たちには理解できないものであり、私たちには「遅い」と思うようなことがあっても神には遅いのではなく目的があることを語っています。私たちは祈った結果がすぐに見える時がありますが、祈っても、祈っても、何も変わらないように見えることがあるのではないでしょうか。しかし、キリスト者の祈りは祈ったとき、すでに神のもとに届いているのですが、ヤコブの手紙4章3節「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」と語っていますが、ヨハネの手紙 第一5章14節−15節は「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたことを知るのです。」と語っていますが、今日の聖句「いつまでも主に信頼せよ。やは、主は、とこしえの岩だから。」と勧めているように、主の時があることを心に留めて生きようではありませんか。