さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。(詩篇95篇1節―3節)

1.詩篇96篇1節―13節
2.詩篇 100篇1節―5節
3. イザヤ書43章1節―13節
4.エペソ人への手紙5章19節―20

日本では昔から八百万(やおよろず)の神、すなわち自然をはじめ世に存在する全てのものに神が宿っているというような考えを元に、数え切れないほどの神々がいるという考えがありますが、それらは人の考えに過ぎず、主が「わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。袋から金を惜しげなく出し、銀をてんびんで量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、これにひざまずき、すぐ拝む。彼らはこれを肩にかついで運び、下に置いて立たせる。これはその場からもう動けない。これに叫んでも答えず、悩みからも救ってもくれない。このことを思い出し、しっかりせよ。そむく者らよ。心に思い返せ。」と仰せられているように、八百万の神々は天地万物を創造された神ではないことは明らかですが、多くの奇蹟を体験して神の偉大さを味わったにも関わらずイスラエルの民もモーセが山から下りてくるのに手間だったの見てアロンにエジオプトから導き出した神を造って欲しい、と願い出て金の子牛を造って偶像崇拝してしまったのでした。この世の多くの知識人も、不思議に偶像崇拝や先祖崇拝をすることが敬虔なことと思っておられるのではないでしょうか。真の神は罪人を救うために御子イエス様を人としてお遣わしになり、十字架の死と復活をもって、律法の呪いから贖ってくださり、罪の赦しと生ける希望をもたらしてくださったのでした。黙示録19章16節にイエス様は「王の王、主の主」と、今日の聖句が「主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。」と語っているように、私たちの神がどのような方なのか忘れずに「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」と勧めているように主を仰ぎ見て、主を誉めたたえて賛美者として生きるように心がけようではありませんか。