しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。(ガラテヤ人への手紙6章14節)

1.エレミヤ書9章23節―24節
2.コリント人への手紙第一2章1節―5節
3.エペソ人への手紙2章1節―9節
4.ヤコブの手紙4章4節―10節

「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」とユダヤから下って来た人々が教えていたり、パリサイ派の者で信者になった人々が「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守るべきである」と言ったように、ガラテヤの教会においても同じような問題が起こったためにパウロは「あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見を良くしたい人たちです。彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。なぜなら、割礼を受けた人たちは、自分自身が律法を守っていません。それなのに彼らがあなたがたに割礼を受けさせようとするのはあなたがたの肉を誇りたいためなのです。」と語ってから「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」と、キリスト者が留意すべき点を語っています。パウロは最もたいせつなことは十字架と復活であることを話され(コリント人への手紙第一15章3節―4節)、弱く、恐れおののいていた時、十字架につけられたイエス様のことだけを考えたのでした(コリント人への手紙第一2章2節―3節)。十字架の死無くして罪の赦しはなく、復活はなくして、死後の世界を知ることも、生ける希望を持つことはできません。イエス様が仰せられたように、キリスト者はこの世に属するものではなく、この世に遣わされている存在であることを忘れずに(ヨハネの福音書17章16節―18節)、十字架の意味を忘れずに。パウロのように誇るべきものは主イエス・キリストの十字架以外何ものもないことを忘れないようにしようではありませんか。