まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩む者たちに、良いものを拒まれません。(詩篇84篇11節)

1.マタイの福音書7章7節ー11節
2.ヨハネの福音書1章1節ー17節
3. ヤコブの手紙1章12節ー17節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー10節

今日の聖句は、まず「まことに、神なる主は太陽です。盾です。」と語ってから「「主は恵みと栄光を授け、正しく歩む者たちに、良いものを拒まれません。」と主が与えてくださるものについて語っています。ところで、太陽。と考えると人は高い山、富士山などに登って見る日の出を「御来光」と称されますが、太陽を拝むようなことをされますが、「御来光」の語源は「ご来迎」という仏教用語で、阿弥陀如来が信者の死後に極楽浄土へ導くため、光とともに迎えに来ることを意味する言葉だそうです。そして、ドイツ語でブロッケン現象(登山者も使います)と言いますが、私も経験したことがありますが、たまに、太陽などの光が背後から差し込み、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象が起こることがありますが、それが光背を背負った仏の姿に見えることから「ご来迎」と呼ばれるようになったと言われているそうです。ところで、パウロが「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」と語っているのを考えると、月が太陽の光を反映させているように私たちも、キリスト者になる前は栄光とは無関係のものでしたが、イエス様を信じることによって、この世の消え去るような栄光ではなく、主の栄光、すなわち永遠の栄光の中に導かれているのです(ペテロの手紙第一5章10節)。その上、パウロが「信仰の大楯を取りなさい。それによって。悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。(エペソ人への手紙6章16節)」と語っているように、主が私たちの盾となって私たちを守ってくださいますが、それはすべて恵みによって与えらたものであり、私たちが道をはずすようなことがあってもキリスト・イエスにある神の恵みや愛から引き離されることがないことを、私たちの羊飼いである主がとりなしていてくださり、私たちを正しい道へと導いてくださることを、ヤコブの手紙1章17節「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」を心に据えて、主は良きお方であることを忘れずに、主に拠り頼んで生きるように心がけようではありませんか。