主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。(詩篇86篇5節)

1.サムエル記第二7章12節ー15節
2.ネヘミヤ記9章1節ー21節
3. ヨハネの福音書1章14節及び16節ー18節
4.ヘブル人への手紙10章4節―18節

神殿を建てようとしたダビデに主は「あなたの日が満ち、あなたがあなたがたの先祖たちとともに眠るとき、わたしはあなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって、彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵み(口語訳:あわれみ、英語訳:愛)をサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王国はとこしえまでも堅く立つ。」と約束されたのですが、その約束を果たすために、神は御子イエス様をこの世に人としてお遣わしになり、ダビデの約束を果たされたのでした。ですからイエス様は、バルテマイが「ダビデの子イエスさま。私をあわれんでください」と叫んだように(マタイの福音書20章30節、マルコの福音書10章46節ー49節)、新約聖書においては一貫してイエス様のことをダビデの子と称しているのです。ヨハネはイエス様のことをことば、と表現してから(ヨハネの福音書1章1節)「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と語るとともに「私たちはみなこの方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのです。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからです。」と語っています(ヨハネの福音書1章14節及び16節ー17節)。ヨハネの福音書3章17節に「神は御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」と語っています。ダビデは多くの罪を犯しましたが、主に立ち返ると主はいつも赦され、勝利を与えられたのでした。ですからダビデは「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。」と語っているのではないでしょうか。私たちもさまざまな失敗をしますが、恵みを無駄にしないように、私たちの主がどのような方なのかを忘れず、自分の不甲斐なさを嘆くのではなく、私たちを愛し、とりなしていてくださる恵みとまことを実現してくださった主を仰ぎ見て生きるように心がけようではありませんか。