もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。(詩篇119篇92節)

1.詩篇19篇7節ー8節
2.マタイの福音書5章1節ー12節
3. ヨハネの福音書15章3節ー7節
4.使徒の働き20章29節ー32節 

人の考えや経験から割り出した教えは一時的には良いように思えても、かつてスパルタ教育が流行りましたが、その厳しさがもたらす弊害が取り上げられ、子どもをほめて育てるような教えに変わってしまうような、時代によってその教えが変わってしまうだけでなく、根本的な問題に解決を与えることができないのではないでしょうか。パウロは「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。(コロサイ人への手紙2章8節)」と語っているにもかかわらず、問題は自尊心の欠如、セルフイメージが低いからで、セルフイメージを高めるような教えや恵みを受容にすり替えてしまうような教えが流行ったことがあったのではないでしょうか。ところで詩篇19篇7節ー8節は「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」と語っているのは、パウロがエペソの長老たちに「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。(使徒の働き20章32節)」と語っているように、 主の教えであるみことばには恵みが満ち溢れているからではないでしょうか。哀歌3章33節は「主は人の子らをただ苦しみ悩まそうとは、思っていられない。」と語っています。今日の聖句が「もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。」と語っているように、主はすべてのことを益としてくださる方であるがゆえに、悩みも主のもとに行く道であり、主の恵みや神の愛を深く知る機会に変えて、私たちに希望を与えてくださる主のみおしえであるみことばを喜んで生きるようにしようではありませんか。