どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。(ローマ人への手紙15章13節)
1.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
2.コリント人への手紙第二13章4節ー11節
3. ピリピ人への手紙4章4節ー9節
4.テサロニケへの手紙第二3章16節
パウロは「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。患難さえも喜んでいます。患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5章1節-5節)」と、失望に終わることがない世界を語っています。ですから、「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」とこの世が与えることのできない喜びや平和が信仰によって与えられることを、私たちの人生には、患難が襲い、失望したり、落胆したり、恐れたりするようなことが起こりますが、どんな時にも、希望の神は、聖霊の力によって、私たちに希望を与え続けてくださることを語っています。パウロは捕らわれの身でありながら聖徒たちに「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と、「主にあって」と、どんな状況でも喜ぶことができる秘訣は、自分の考えや感情に囚われず十字架で神の愛を示された恵みとまことに満ちておられる主を思い、主を信頼して生きるように勧めているのではないでしょうか。十字架で殺されて死で終わったのではなく、死がなければ復活がなかったように、否定的に見えることも益としてくださる神を信じ、私たちの心が元気を失ったり、疲れ果ててしないために信仰の完成者であるイエスから目を離さないで、心のうちを主に申し上げてすべてを益にしてくださる主に期待して祈り、すべてを美してくださる(伝道者の書1章11節)主の時を待ち望んで生きようではありませんか。