ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつひもを解く値うちもありません。その方はあなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。また手に箕をもって脱穀場をことごとくきよめ、麦を蔵に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(ルカの福音書3章16節ー17節)
1.ヨハネの福音書5章24節ー30節
2.ヨハネの福音書14章22節ー31節
3.使徒の働き1章3節ー8節及び2章1節ー42節
4.ローマ人への手紙15章14節ー16節
救い主を待ち望んでいた民衆がもしかするとこの方がキリストではないか、と考えていた民衆にヨハネは「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつひもを解く値うちもありません。」と、彼らの考えを一掃するようなことを語ってから「その方はあなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。また手に箕をもって脱穀場をことごとくきよめ、麦を蔵に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」と、イエス様が与えてくださるものと二つの火について語っています。イエス様は弟子たちが聖霊のバプテスマを受けることを話されましたし(使徒の働き1章5節)、火のバプテスマはイエス様ご自身も悪魔の試みやさまざまな試練に会われたように、ペテロが「愛する者たち、あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜び踊る者となるためです。(ペテロの手紙第一4 章12節ー13節)」と語っているようにキリスト者も信仰の試練に会いますが、ヨブ記1章と2章に見られるように悪魔は主の許しなしに私たちを試みることはできないことを、その背後には神のご計画があることを忘れないようにしようではありませんか。一方、消えない火について黙示録20章10節及び14節は「悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。・・・死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。」と語っていますが、キリスト者の全生涯の罪は赦され、永遠のいのちが与えられているので、永遠の死、すなわち火の池に投げ込まれることがないこと、行いによるのではなく恵みによって救われているだけでなく日々恵みによって生かされていることを忘れないようにしようではありませんか。