満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章6節)

1.詩篇23篇1節ー6節
2.ヨハネの福音書1章14節ー17節
3.ヨハネの福音書6章32節ー35節
4.ピリピ人への手紙4章8節ー13節

パウロはパリサイ人として律法による自分の義に生きていた時には、他のユダヤ人のように神に対して熱心でしたが、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知らずにキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となった彼はキリスト・イエスを知っていることのすばらしさを知る者となり、敬虔を利得の手段としている人々がいることを指摘してから、「満ち足りた心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と、単なる敬虔さではなく、心の豊かさを伴う敬虔のこそ人が必要としているものであることを語られました。イエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と約束されましたし、ヘブル人への手紙12章2節-3節は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせず十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と勧めているように、満ち足りた心を伴う敬虔さに生きるためにイエス様をいつも思って生きようではありませんか。