心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられ、その快いことばは理解を増し加える。(箴言1621節)

1.列王記第一33節ー12
2.マタイの福音書1214節ー37
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.ヤコブの手紙313節ー17

ヤコブは「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょう。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。」と勧めてから「もし、あなた方の心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。」と語るとともに「上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実にとに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」と知恵には2種類あることを語っています(ヤコブの手紙313節ー17節)。主から「あなたに何を与えようか。願え」と言われたソロモンが「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と申し上げるとその願いは主の御心にかなったので、主は彼に「知恵の心と判断する心」を与えられたのでした(列王記第一35節及び9節ー10節)。ですから、今日の聖句は「心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられ、その快いことばは理解を増し加える。」と語っていますが、その知恵は神を知ることができないこの世の知恵ではなく、ヤコブが「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、誰でも惜しげなく、とがめることがなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」と勧めているように、神から与えられる知恵であり、その知恵は、恵みとあわれみとまことに満ちたものであり、願い求めるすべての人の心に与えられることを疑わないで信じて求めるとともに、みことばによって日々の生活に必要な知恵をいただいて生きるようにしようではありませんか。