まことに、国々の神々はむなしい。しかし主は天をお造りになった。(詩篇96篇5節)
1.イザヤ書40章18節ー31節
2.イザヤ書44章6節ー20節
3.ローマ人への手紙1章16節ー25節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
多くの哲学者を生み出したギリシャのアテネにおいて町が偶像でいっぱいなのを見て心に憤りを感じ、ユダヤ人や神を敬う人たちと会堂や広場で論じたパウロはアレオパゴスの会議で「神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえられることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」と語ったにも関わらず、すべての人が信じたのではなくあざ笑う人や真摯に受け止めない人がおられたのでした(使徒の働き17章16節ー34節)。今日の聖句は「まことに、国々の神々はむなしい。」と語っていますが、彼らは、耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで満足しむなしさを感じなくなっていたのは、パウロがかたているように、この世の神が人々の思いをくらまして神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているからではないでしょうか(コリント人への手紙第二4章3節ー4節)。天を造リになったイエス様は(創世記1章1節、ヨハネの福音書1章3節)「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられました。偶像崇拝をされておられる方々の心の目が開かれるように祈ろうではありませんか。