王の憤りは死の使者である。しかし知恵のある人はそれをなだめる。(箴言16章14節)
1.サムエル記第一25章2節ー35節
2.ダニエル書2章1節ー49節
3.ヤコブの手紙1章12節ー22節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節
今日の聖句は「王の憤りは死の使者である。しかし知恵のある人はそれをなだめる。」と王、すなわち権威者の憤りは人を死においやってしまうような危険性があることを語るとともに、知恵のある人は王が罪を犯さなくてすむように導くことを語っています。パウロは憤りは肉の行いであることを(ガラテヤ人への手紙5章19節ー20節)、ヤコブは「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。(ヤコブの手紙1章20節)」と語っています。ナバルを殺害しようとしたダビデや見た夢や夢の解き明かしができない者たちを殺そうとしたネブカデネザル王のように、自分の思う通りならないような状態に陥った時、感情に任せて憤ったり、怒ったりしてしまうのではないでしょうか。ダビデの場合はアビガエルが主を思い起こさせ、ネブカデネザル王にはダニエルが遣わされて王が神を知るようにされ、ダビデはナバルに手を下さなくてすみましたし(サムエル記第一25章2節ー35節 )、ネブカデネザル王はダニエルに高い位を与え全州を治めさせバビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とされたのでした。王でなくても、私たちも感情に支配されてしまうと、理性を失って怒ったり憤ったりしてしまうのではないでしょうか。パウロが「怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。・・・無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに許し合いなさい。(エペソ人への手紙4章26節ー27節及び31節ー32節)」と勧めているように、神のことを思わせないようにする悪魔(マタイの福音書16章23節)に機会を与えないように、肉の行いに走らないように、全生涯の罪が赦されていることを忘れないようにしようではありませんか。