だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。(コリント人への手紙第二5章17節)
1.ヨハネの福音書3章1節ー7節
2.コリント人への手紙第二4章7節ー18節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.黙示録20章11節ー21章5節
新年になり、人々の心は何か新しくされたような思いになり将来に向けての希望を抱く人がおられる一方で、被災地の方々はこの一年、復興がどのように進むのか不安を覚えている方々もおられるのではないでしょうか。今年は心を入れ替えて、と誓う人がおられるように。人は新しくされること、新しいことに期待しますが、ソロモンは「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。『これを見よ。これは新しい』と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。(伝道者の書1章9節ー10節)」と語っています。どんなに精巧なカメラでも私たちの目にはかなわないようです。写真は実際見た景色の色を忠実に表現できず、見た景色にするためには色の修正をしなくてはならないようですし、AIが素晴らしいと言っても、それは神によって創造された人が作ったものであるからではないでしょうか。イエス様はニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。・・まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハネの福音書3章3節及び5節ー6節)」と仰せられたように、新しさは、水、すなわち神のことばであるみことばと聖霊によってのみ可能であることを話されたのでした。ですから、パウロは「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。」と語っているのではないでしょうか。イエス様を信じることによって御霊が与えられ神の子とされただけでなく、私たちの内なる人は日々新たにされていることを感謝し、後悔するような過去の記憶から解放されて生きようではありませんか。