幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。(詩篇32篇1節)
1.ローマ人への手紙4章2節ー25節
2.ローマ人への手紙8章33節ー39節
3.コリント人への手紙第一4章4節ー5節
4.ヘブル人への手紙7章14節ー27節
人は世を去るまでの間、さまざまな咎、すなわち人から非難されるような間違いや罪を積み上げながら生きています。ですから、エレミヤ書9章23節ー24節に「主はこう仰られる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義をお行う者であり、私がこれらのことを喜ぶからだー主の御告げー』」と、この世の人々が誇ることができるどんなものよりも、主を知っていることの大切さを語っているのは、人がうらやむほどの知恵があっても力があっても富があっても、死をもたらす咎や罪を消すことができる力は全くないからではないでしょうか。コリント人への手紙第一15章17節は「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」とローマ人への手紙6章23節は「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と語っているように、イエス様は十字架の死だけでなく死からよみがえられたことによって完全なる救いを成就されたのでした。今日の聖句は「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。」と、世の人々が考えている幸いなこと、人がうらやむような家柄や能力、財力に関係なく、神を無視していたことも罪もとがめられることがないようにしてくださったイエス様を信じることこそが幸いなことであることを忘れずに主をほめたたえて生きようではありませんか。