そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。(テモテへの手紙第二2章1節)

1.サムエル記第二7章12節ー16節
2.詩篇23篇1節ー6節
3.ヨハネの福音書1章14節ー18節
4.ローマ人への手紙5章17節ー21節

テモテはパウロによって救われたためにと、テモテへの手紙第一1章2節において「信仰による真実のわが子テモテへ。」と、テモテへの手紙第二1章2節においても「愛する子テモテへ。」と霊的父親の立場かを提示してから「父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」と、二つの書簡には他の書簡に見られない「あわれみ」が恵みと平安の間に記述されているのは、「私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。」と、語っているようにエペソの教会を牧会していたテモテが教会の中に起きた問題に涙していたために主のあわれみが必要であったからではないでしょうか。パウロ自身、数々のさまざまな苦しみに耐え抜くことができたのは恵みをむだに受けない生き方をされたからであるがゆえ(コリント人への手紙第二6章1節ー10節)、「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」と勧めたのではないでしょうか。パウロは「恵みによって強くなりなさい。」と勧めたのではなく「キリスト・イエスにある恵み」と勧めているのは、救いは行いによってではなく恵みによるものであり、その恵みはイエス・キリストによって実現したからではないでしょうか。パウロは「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二2章8節)」と勧めています。私たちも弱さを覚える時、主のあわれみが必要ですが、それとともに恵みによって救われていること、恵みとまことに満ちておられるだけでなく(ヨハネの福音書1章14節)、神の力、神の知恵であられるイエス様が(コリント人への手紙第一1章24節)聖霊なる神として内住しておられることを忘れないようにしようではありませんか。