わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからです。(ヨハネの福音書15章5節)

1.ローマ人への手紙6章17節―22節
2.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節
3.ピリピ人への手紙1章9節―11節
4.ヘブル人への手紙12章2節―11節

イエス様は「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。(ヨハネの福音書15章3節)」と語ってから「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからです。」と、多くの実を結ぶ人生はイエス様との関係が不可欠であることを語っています。確かにパウロが「清潔に至る実(ローマ人への手紙6章22節)」「聖霊の実(ガラテヤ人への手紙5章22節)」「義の実(ピリピ人への手紙1章11節)」「平安な義の実(ヘブル人への手紙12章11節)」と、キリスト者が結ぶべき実を語っていますが、それらは人間の努力によるものではなく主がどのような方であるのかを、十字架の恵みを知ることによるものであるとともに、御霊なる主のお働きによるものであることがわかります。パウロが「あなたがたは、以前はやみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。―光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのですーそのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。(エペソ人への手紙5章8節―10節)」と勧めているように生きるために、世の光であり、死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思って生きるようにしようではありませんか(テモテへの手紙第二2章8節)。