神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)

1.ヨハネの福音書14章16節―17節及び26節−27節
2.ローマ人への手紙8章15節―24節
3.コリント人への手紙第一2章1節―13節
4.ヨハネの手紙第一4章1節−11節

パウロは世の人々と同じように「私はパウロにつく」「私はアポロに」と、「私」に生きているキリスト者のいるコリントの教会に行った時の心情を「あなたがたといっしょにいたときの私は弱く、恐れおののいていました。」と正直に語るとともに、そのような状態の中で十字架につけられたイエス・キリストのほかは、何も知らないことを決心されたこと、そして「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵の言葉によって行われたものではなく、御霊と御力の現われでした。」と弱さや恐れおののくような状態に陥った時の解決策を証してくださっています(コリント人への手紙第一1章12節及び2章1節―4節)。パウロはテモテに「私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。(テモテへの手紙第二1章3節ー5節)」と語ってから「私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。」と、キリスト者の心に神が与え、内住してくださっている聖霊様の神性について語るとともに、それを燃えたたせるように勧めています。弱さや恐れを覚える時、私たちは恐怖に陥れるような奴隷の霊であるこの世の霊ではなく、聖霊が与えられていることを自覚し、神の力、神の知恵であるイエス様を見上げ(コリント人への手紙第一1章24節)、十字架によって示された神の愛に生きるようにしようではありませんか。