主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである(箴言9章10節)
1.エレミヤ書9章23節ー24節
2. ルカの福音書23章33節ー45節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー35節
4.テモテへの手紙第一1章13節ー16節
今日の聖句は「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」と、知恵の初まり、すなわち知恵の土台、根本は主を恐れることにあることを語るとともに、悟りは自分であれやこれや考えて理解を深めることではなく、聖なる方を知ることであることを語っています。ですから、パウロは「知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることができないのは、神の知恵によるのです。」と人が知らなくてはならない根本的な事実、すなわち、人は神によって創造された存在であることと、その神を知ることができないようなこの世や人間の知恵は愚かなものであると語ったのでした。十字架にかけられた犯罪人のひとりはイエス様のとりなしの祈りを聞いて、イエス様に悪口を言っているもうひとりの犯罪人に「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしていない。」とたしなめてから、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、わたしを思い出してください。」と申しげたので、イエス様は「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束されたのでした。主は「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだー主の御告げー(エレミヤ書9章24節)」と仰られました。聖なる方であり、神の知恵であり信仰の完成者であられるイエス様から目を離さず、神の知恵である聖書のことばをしっかり握って、主がどのような方であるのかを忘れずに、主を恐れる、すなわち畏敬の念をもって主を誉めたたえて生きようではありませんか。