人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。支配者の顔色を伺う者は多い。しかし人をさばくのは主である。(箴言29章25節ー26節)
1.民数記13章25節ー14章11節
2.歴代誌第二20章1節ー25節
3.ヨハネの福音書5章24節ー30節
4.使徒の働き 12章20節ー23節
悩んだり、自分の将来はどうなるのかという不安を抱えると、占い師を訪ねたり、霊媒師を訪ねるような方がおられるように、この世は目に見える世界だけでなく、目に見えない霊の世界が共存していることを人は知っているのではないでしょうか。パウロは「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)」と、「恐れ」そのものは世全体を支配している悪しき者、すなわち悪魔や悪霊の働きによるものであることを語るとともに、キリスト者はそのような霊の働きから解放されている者であり、心に恐れが臨むとき「アバ、父」と、すなち永遠に存在し、天地万物を創造された神を父と呼んで助けを求めることができる立場にあることを語っています。ところで今日の聖句は「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。支配者の顔色を伺う者は多い。しかし人をさばくのは主である。」と語っているように、このところ共産主義国、というよりも独裁国家と言ってもよいような北朝鮮や中国、ロシアなどの報道を見ると、確かに人々が支配者の顔色を伺う実態があることを思わされますが、その原因は恐れにあるのではないでしょうか。人を恐れてしまうと神の存在が見えなくなってしまうのではないでしょうか。今日の聖句が「主に信頼する者は守られる。人をさばくのは主である。」と語っているように、恐れから守られるために、目に見える人よりも、目には見えませんが、人の目に隠されていることやすべての人の心の状態もすべてご存知で、やがてそれらのものを明らかにされて裁かれる主を信頼して生きようではありませんか。