主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6章8節)

1.出エジプト記33章12節ー17節
2.エレミヤ書9章23節ー24節
3.ルカの福音書11章37節ー42節
4.ヤコブの手紙4章1節ー10節

ミカ書6章6節に「私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。」という問いかけに対して8節は「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」と答えを与えています。ところで、エレミヤ書9章23節ー24節に「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー」と公義の源は神であり、神の判断は正義に基づいたものであることを語っています。イエス様はパリサイ人に「おまえたちは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛はなおざりにしています。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もなおざりにしてはいけません。」と、捧げ物よりも公義と神への愛の方が大切であることを語ったのですが、彼らは他者を見下すような高ぶりに生き(ルカの福音書18章9節ー11節)、律法を守ることには熱心でも、神とともに歩んでいなかったことにあるのではないでしょうか。公義を行うこと、誠実を愛することは日常生活における人間関係に関わることですが、それを実行するためには神との関係が不可欠であること心に据えて、どんな時にも主が共におられることを感謝して生きようではありませんか。