終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。(エペソ人への手紙6章10節)
1.ローマ人への手紙13章11節―14節
2.コリント人への手紙第一1章22節―2章5節
3.ピリピ人への手紙4章9節―13節
4.ペテロの手紙第二1章2節―3節
神が約束された地に民を導くためにモーセの後継者とされたヨシュアに「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず。あなたを見捨てない。」と約束されてから、二度も「強くあれ。雄々しくあれ。」と仰せられ、三度目には「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」と、「命じたではないか」と、仰せられた主のことばにヨシュアの恐れがどれほどのものであったのかを思わされるとともに主の願いは、強く、雄々しくあることですが、そのように生きるためには主がどこにでもいっしょにおられるという約束を忘れないように仰せられているのではないでしょうか。神のみこころを知る者となられたパウロは「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」とキリスト者が強くあって欲しいと願っていますが、その強さはこの世や人の考えているような強さではなく、天地万物を創造された主との関係の中で強められるように勧めています。パウロは弱く、恐れおののいたとき十字架につけられたイエス・キリストを仰ぎ見て神の力、神の知恵に生きられたように(コリント人への手紙第一2章1節―4節)、私たちも恐れや弱さを覚えるとき、私たちの内には死からよみがえられたイエス様が聖霊なる神として内住しておられることを思い起こし、主にあって心が強められようにしようではありませんか。