私はあなたのみことばを見つけまだし、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。(エレミヤ書15章16節)
1.申命記8章1節―6節
2.詩篇1篇1節―3節
3.詩篇119篇65節ー72節
4.使徒の働き20章29節―32節
今日の聖句が「私はあなたのみことばを見つけまだし、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。」と語っているように、40日40夜断食したあとで空腹を覚えられたイエス様に「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と言った悪魔に、イエス様が「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」と、人が生きるためには二種類の食べ物があることを語られたように、「みことばを食べる」ということは、みことばは、食べものでは満たすことのできない心の糧であり、この世が与えることのできない喜びを与えてくださることを語っているのではないでしょうか。イエス様は弟子たちがご自分のことを見捨てることを、ペテロが三度イエス様のことを知らないということをご存知でありながら、そのことを責めるのではなく、かえって「私はあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカの福音書22章32節)」とペテロに仰せられたように、みことばは真実を、真理を語るとともに励ましや喜びを与えるものであることを、この世に生きていてもこの世に属する者ではなく、神に属する者であり永遠のいのちが与えらていることを心に据えて、この世や人のことばにほんろうされないように、恵みに満ちているみことばにいそしむようにしようではありませんか。