万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4章7節)
1.ルカの福音書12章13節―32節
2.ルカの福音書18章1節―14節
3.ローマ人への手紙13章11節―14節
4.ヤコブの手紙4章1節―10節
イエス様がエルサレムの神殿が崩壊することを話されたので、「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世のおわりには、どんな前兆があるのでしょう。」と、弟子たちが尋ねると、「人に惑わされないように気をつけなさい。」とまず話されてから、「わたしの名をなのる者が大ぜい現れ、『わたしこそキリストだ』と言って多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ずおこることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。(マタイの福音書24章1節―8節)」と、思わしくない状況が起きてもあわてないように仰せられるとともに、失望しないでいつでも祈るべきであること、高ぶった思いで祈ることのないように話されました(ルカの福音書18章1節―14節)。パウロは「終わりの日には困難な時代がやってくることをよく承知しておきなさい。」と勧めてから、困難な時代になる原因について「自分を愛する者」「金を愛する者」「神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になる」と、神のことを全く考慮しないことや神を知っていても自分を喜ばせるような生き方をしてしまうことにあることを語っています。確かに現在の状況を見ると、ウクライナとロシアとの戦争がどのように発展してしまうのかを恐れている状況や、文鮮明がどのようなことをしてきたのかが明らかにされているのを見ると、確かにこの世だけでなく万物の終わりが近づいているように思いますが、そのような時、キリスト者がすべきことは祈ることであり、祈りをささげる時、主の御前で祈っていることを心に据えて祈るなら、おのずと心を整え身を慎んで祈れるのではないでしょうか。人にではなく、すべてのことをご存じな主の御前で、主に向かって祈るようにしようではありませんか。