私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル人への手紙4章15節―16節)

1.ネヘミヤ書8章5節―12節
2.イザヤ書12章2節―6節
3.ローマ人への手紙5章7節―20節
4.ローマ人への手紙8章28節―29節

律法の書が読まれ、その意味を知らされた民にネヘミヤとエズラ、レビ人たちは「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いていてはならない。」と語ってから「行って、上等な肉を食べ、あまいぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい。きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるから(口語訳:主を喜ぶことはあなたの力であるから)」と、レビ人たちも「静まりなさい。きょうは神聖な日だから。悲しんではならない。」と、悔い改めたなら、その日は主が聖別された日、神聖な日であるから喜ぶべきであることを語ったのでした(ネヘミヤ記8章8節―11節)。自分の心がとがめるような失敗や過ちを犯したとき、自責の念に縛られたり、自己嫌悪に陥ったりするよりも、そのような時こそ今日の聖句が「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と勧めているように、恵とまことに満ちておられ(ヨハネの福音書1章14節)死からよみがえられ神の右の座に着いておられるイエス様はキリスト者が罪に定められないようにとりなして祈っていてくださることを思い起こし(ローマ人への手紙8章34節)、全生涯の罪に対する罰は十字架で支払われて取り除かれて救われていること、私たちの弱さをよくご存知で、助けを求めるとみことばをもって励まし、助けてくださる主を喜んで生きようではありませんか。